今朝は起床するのが遅かった。
AM8:30過ぎに2Fから1Fに降りて、「おはよう」と挨拶、
すでに長女は部活に出かけている。
「ねぇ、三沢死んじゃったょ」 と妻の一言。
え・・・・? 何を言われているのかわからなかった。
どこのどんなミサワとは言わずとも我が家でミサワと言えば、間違えることなく
『三沢光晴』のことだから、またとんでもないデマを耳にしたんだろうと思った。
「新聞に載ってるてば」
慌てて新聞を広げる。北海道新聞にも載るとはさすが三沢とトンチンカンなこと
を考えて、紙面を目でおう。何度も何度も読み返す。
。。。。。。。。。。。。死んじゃったんだ・・・
2代目タイガーマスク時代から見ていた。
弟は前座時代(VS超中)から知っていて、その才能を絶賛していた。
全日本時代の四天王時代には、札幌まで観戦にも行った。
ミサワコールを入場テーマ曲スパルタンXが流れるや会場の他の観客と
一緒になって大声で叫んだ。「超世代軍」に感情移入しまくった。
NOAHになってからも三沢社長の頑張りを見ていた。
何度も言われてきたプロレス冬の時代。
元新日本プロレスの高橋レフェリーの暴露本やゴールデンタイムからの撤退、
専門誌の衰退などにより更に厳しいプロレス。
でもNOAHはもし三沢が現役引退しても、三沢が社長だから大丈夫、
プロレス復興も三沢がしていく、そんな風に思っていた・・・
新日本プロレスに初代タイガーマスクが出現したときは、ゴールデンタイム
での地上波TV放映もあった。そのデビュー戦を見て、驚嘆し見続けたあと
も、ファンクス、ブッチャー以来見ていた全日本プロレスファンだったことを
辞めたことはなかった。
2代目タイガーマスクのデビュー戦で様々な評価を受けた三沢を見続けて
マスクを抜いだあと、エース鶴田を必死に倒そうとする姿に感動していた。
NOAHを立ち上げたときにも苦労はするだろうが三沢ならと思っていた。
そして、プロレス最後の砦として評価され、三沢だからと思っていた。
バラエティー番組でエロ社長っぷりを発揮して、サスガ!とも思った。
馬場さん、鶴田が亡くなったとき、それはショックではあった。
でも三沢は・・・・・ まだ死んではいけなかった。
これからNOAHは・・・、プロレスはどうなるのか?とも考えた。でも・・・
ボーっとしながらそれでも三沢の死で、20数年もファンであったプロレス
と決別しそうな気がしている。
同世代のプロレスラーはまだまだ現役で活躍している。
もちろん後を追う世代も活躍している。
それでも・・・ それでも・・・
やっぱり三沢光晴は特別な存在だった。 合掌
=Tb:AS記=
あ・・・アーフラッツにまるっと関与しない内容だ~ 失敬